2013年08月15日
豊臣秀吉と耳塚
以前に豊臣秀吉を祭っておられる豊国神社のご案内をさせていただきましたが、本日はごく近くにあります、耳塚(鼻塚)のご案内を…。
場所は豊国神社から、西に100メートルくらい行った南側にあります。

この塚は、天下を統一した豊臣秀吉がさらに大陸に支配の手を伸ばそうとして、朝鮮半島に侵攻した文禄の役、慶長の役にかかるわる遺跡です。秀吉輩下の武将は、戦功のしるしである首級の代わりに、朝鮮軍民男女の鼻や耳をそぎ塩漬にして日本に持ち帰りました。それらは秀吉の命令によってこの地に埋められ、供養が営まれたと言われています。これが伝えられる「耳塚(鼻塚)」のはじまりです。
耳塚は、京都に現存する豊臣秀吉の遺構の一つであり、塚の上には五輪の石塔が建っています。

秀吉が起こしたこの戦争は、朝鮮半島における人々の根強い抵抗で敗退に終わりましたが、侵略が遺したこの「耳塚」は、戦乱下に被った朝鮮民衆の受難を、歴史の遺訓として、今に伝えています。バスに乗って団体で参拝に来られる方達もいらっしゃいます。

花名刺の京冨
場所は豊国神社から、西に100メートルくらい行った南側にあります。

この塚は、天下を統一した豊臣秀吉がさらに大陸に支配の手を伸ばそうとして、朝鮮半島に侵攻した文禄の役、慶長の役にかかるわる遺跡です。秀吉輩下の武将は、戦功のしるしである首級の代わりに、朝鮮軍民男女の鼻や耳をそぎ塩漬にして日本に持ち帰りました。それらは秀吉の命令によってこの地に埋められ、供養が営まれたと言われています。これが伝えられる「耳塚(鼻塚)」のはじまりです。
耳塚は、京都に現存する豊臣秀吉の遺構の一つであり、塚の上には五輪の石塔が建っています。

秀吉が起こしたこの戦争は、朝鮮半島における人々の根強い抵抗で敗退に終わりましたが、侵略が遺したこの「耳塚」は、戦乱下に被った朝鮮民衆の受難を、歴史の遺訓として、今に伝えています。バスに乗って団体で参拝に来られる方達もいらっしゃいます。

花名刺の京冨
Posted by 花名刺の京冨 at 17:35│Comments(0)
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