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プロフィール
花名刺の京冨
花名刺の京冨
平成2年12月31日、父が動脈瘤破裂のくも膜下出血を患い、仕事を継続するのが困難となり、家業の印刷業を継ぐ決意をしました。その時に、様々な方々に様々なお世話をしていただきました。その方達には一生を掛けて、恩返をしていきたいと思っております。
元々は京都の花街宮川町に25年間住んでいたこともあり、舞妓さんや芸子さんとは幼いころから接点が有りました。
また、花名刺と言う物にも、幼いころから接していました。その文化を少しでも全国の方々に知ってもらいたく、「花名刺と千社札の京冨」を立ち上げました。
是非、一度ホームページにも訪問してみてください。

http://kyotomi.com

2013年08月15日

豊臣秀吉と耳塚

以前に豊臣秀吉を祭っておられる豊国神社のご案内をさせていただきましたが、本日はごく近くにあります、耳塚(鼻塚)のご案内を…。

場所は豊国神社から、西に100メートルくらい行った南側にあります。

豊臣秀吉と耳塚



この塚は、天下を統一した豊臣秀吉がさらに大陸に支配の手を伸ばそうとして、朝鮮半島に侵攻した文禄の役、慶長の役にかかるわる遺跡です。秀吉輩下の武将は、戦功のしるしである首級の代わりに、朝鮮軍民男女の鼻や耳をそぎ塩漬にして日本に持ち帰りました。それらは秀吉の命令によってこの地に埋められ、供養が営まれたと言われています。これが伝えられる「耳塚(鼻塚)」のはじまりです。
耳塚は、京都に現存する豊臣秀吉の遺構の一つであり、塚の上には五輪の石塔が建っています。

豊臣秀吉と耳塚



秀吉が起こしたこの戦争は、朝鮮半島における人々の根強い抵抗で敗退に終わりましたが、侵略が遺したこの「耳塚」は、戦乱下に被った朝鮮民衆の受難を、歴史の遺訓として、今に伝えています。バスに乗って団体で参拝に来られる方達もいらっしゃいます。

豊臣秀吉と耳塚



花名刺の京冨




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Posted by 花名刺の京冨 at 17:35│Comments(0)我が町
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